「歩いている」とナレーションしながら歩くと無心になれる

今日、歩きながら、どうやったら無心になれるかを考えていた。歩く瞑想の良いところは多分、無心になりやすいというところだと思うから。

「歩いている」「歩いている」と心の中で唱えながら、歩いてみた。

いざ試してみると、こいつはなかなか良さそうだ。単に思考のボリュームを落とそうとするよりも、ずっと無心になりやすい気がした。

どうやら「言葉を唱える」というアクションは、雑多な思考を抑制してくれる効果があるみたいだ。

このメソッド何なの?

そういえば瞑想関係の本に「自分の動きをナレーションしながら歩く」という、同じ方法が紹介されていることを思い出した。
これは僕は、本当に意味がよく分からないと思っていたし、今までやったことがなかった。

それに、思考から解放されるために瞑想をしているのに、逆に言葉を使うなんて、なんだか本末転倒で、腑に落ちない気がしていた。

思考と言葉は別物

だけど今日思ったのは「自動的に湧き上がる思考」と「意図的に唱える言葉」は、別物なんじゃないかということ。理由はよく分からないけれどこの二つはどうやら別の作用をするみたいだ。

片方は誰かに仕掛けられた再生装置、片方は自分で仕掛ける装置。そんな感じで。

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