「歩いている」とナレーションしながら歩くと無心になれる

今日、歩きながら、どうやったら無心になれるかを考えていた。歩く瞑想の良いところは多分、無心になりやすいというところだと思うから。

「歩いている」「歩いている」と心の中で唱えながら、歩いてみた。

いざ試してみると、こいつはなかなか良さそうだ。単に思考のボリュームを落とそうとするよりも、ずっと無心になりやすい気がした。

どうやら「言葉を唱える」というアクションは、雑多な思考を抑制してくれる効果があるみたいだ。

このメソッド何なの?

そういえば瞑想関係の本に「自分の動きをナレーションしながら歩く」という、同じ方法が紹介されていることを思い出した。
これは僕は、本当に意味がよく分からないと思っていたし、今までやったことがなかった。

それに、思考から解放されるために瞑想をしているのに、逆に言葉を使うなんて、なんだか本末転倒で、腑に落ちない気がしていた。

思考と言葉は別物

だけど今日思ったのは「自動的に湧き上がる思考」と「意図的に唱える言葉」は、別物なんじゃないかということ。理由はよく分からないけれどこの二つはどうやら別の作用をするみたいだ。

片方は誰かに仕掛けられた再生装置、片方は自分で仕掛ける装置。そんな感じで。

歩く瞑想の基本は「身体的な心地良さ」に集中すること

歩く瞑想って、何をしたら良いんだろう。

基本は「足裏の感覚に注意を向ける」ことだ。

これは鉄板。
だけど僕は、もっと良い方法があると思っている。

それは「身体的な心地良さ」に注意を向けること。

確かに足裏の感覚は、心地良さを感じやすい。
だけど例えば、立ち止まると感覚は消えてしまったりする。

なので僕は「身体的な心地良さ全般」に意識を向けるのが良いと思う。
たまたまその中で、足裏の感覚は安定的に、心地良く感じやすいというだけだ。

メリット

この方法だと、たとえば涼しい風が肌に当たる感覚とか、ふくらはぎの裏側とか、様々なバリエーションの感覚をキャッチできるようになる。
キャッチできる情報が多くなればなるほど、どんどん歩くことが楽しくなって、瞑想も続きやすくなる。

ぜひお試しあれ。